Artist Reviewについて

MAD アート・プロジェクトでは、「アート」を通して、社会の今と次の姿を感じ、考える機会をつくる活動として、アーティスト、キュレーター、ギャラリストや学芸員といった美術関係者の多様な姿にフォーカスを当てた記事の発信を行っています。これを通して、美術関係者には、時には伝わりづらくもある自らの活動の内容やその意味を広く周知する機会を、読者の皆さんには新たな思索を行う機会を提供していきます。

イントロダクション

近年、生物多様性の概念に基づく循環型社会の必要性が注目される中で、「発酵」のような目に見えない微生物の働きが有益な作用をもたらすものとして再評価され、特定の民族に受け継がれてきた食文化を再考するきっかけにもなっています。一方で、同じく目に見えない微生物の「ウイルス」は、人間の体内に侵入して病原体となり、人々の正常な生活を妨げるだけでなく、時には社会全体の活動を停滞させます。

良くも悪くも、微生物は私たちの生活に多大な影響を及ぼす存在であり、この見えない生物との関係性を考えることは現代社会を象徴するテーマの一つといえます。

そして、このテーマはアートの世界でも取り上げられ、その一例が「生命」という広い視点から多様な「生」を探求する「バイオアート」と呼ばれる分野です。バイオアートは、人間と生命との関係を考察するアートで、単なるアーティストの自己表現に留まらず、新たな工学技術の発見や未来のビジョン構築にも寄与しています。

今回ご紹介する齋藤帆奈さんは、真性粘菌の特性に着目し、粘菌を用いた芸術作品を創作し続けるバイオアーティストです。彼女の活動は冒頭であげた社会の動きに呼応しているように感じ、また、私たちがものごとと向き合う際の大切な姿勢を教えてくれているようにも感じます。彼女の作品が我々に何をもたらすのか?MAD Artist Review Vol.1を通じて考察したいと思います。今回のインタビュー及び記事の執筆は、バイオアート考察や文化人類学の研究などを行なっている、MADのアートフェローでもある塚本 隆大氏によるものです。

生物学を用いた表現を求めて

塚本隆大・文

新進気鋭のバイオアーティストとして、また、アートラボの運営者としても活躍する齋藤帆奈さんは、多摩美術大学工芸学科ガラスコースを卒業、現在は東京大学大学院学際情報学府博士課程に在籍(筧康明研究室)しながら、自身の創作活動を続けています。そのような彼女の代表作とも言えるのが、≪Eaten Colors≫シリーズです。

 Eaten Colors ver

≪Eaten Colors≫は、微生物によって変化し続ける作品です。キャンバスに見立てたアクリルや寒天培地上に真正粘菌の変形体と食物が置かれ、粘菌が着色された食物を食べ、次の食事を求めて移動する軌跡によって作品がつくられていきます。そして、粘菌には色の好みがある為、その嗜好によって、最終的な作品の姿が決定されていくのです。また、粘菌以外にも、そこには共生しているカビや細菌たちが存在しており、これらによっても作品の様相は変化していきます。

「つくる」とは何か

≪Eaten Colors≫は、現代のアートに関わる議論の先端に位置付けうるものと考えます。作品の完成までの過程において、作り手である齋藤さん自身の意図がそこに完全に反映されることはありません。彼女にどんな意向があっても、あくまで粘菌がどの色の食物を食べるかによって、作品の色合い・姿が決まっていくからです。こうした、作品に対する決定権を、作り手ではなく、素材である粘菌の側にも委ねるスタイルは、近年のアートに関する議論とも呼応しています。

モノの制作やその意味などについて、深い考察に基づく論考を発表している人類学者ティム・インゴルドは、「つくること」に関する思い込みを正そうと試みています。彼によれば、これまでの「つくること」に関する学問的な研究において、制作者の意図は作品の素材に一方的に反映されるもの、と捉えられてきており、これは、画家が頭の中で考えた完成図が、画家の考えや技術による働きかけにより、そのままキャンバス上に現れる状況を指す、としています。そして、インゴルドはこうした考え方を覆します。彼は、実際の制作過程においては、作り手の意図のみならず、素材やその時々の環境からも強く影響を受けるものだと考えました。

例えば、木の籠を編むときのことを考えてみましょう。作り手が、素材となる木の枝 を曲げようとする際、これを一方的に曲げることはできません。なぜなら、枝の持つ固さが曲げようとする力に抵抗するからです。ここで作り手は、その抵抗に合わせて、自身の動きを変更せざるを得ません。一方的に力を加えれば、枝は折れてしまうのです。ここでは、作り手の素材に対する働きかけが、素材の反応を生み出し、また、その反応に対して作り手も再度反応をするといった、作り手と素材との相互のやり取りが発生しています。

インゴルドは、こうしたやり取りを相互作用の次元を超えて、互い互いに作り直していく相互生成として捉え、その過程・力動こそがモノを「つくること」と考えました。更に、この生成は、作り手や素材が存在する「環境」までをも含むと考えました2。

生物学を用いた芸術表現の契機

以上のような制作方法は、生物学的な側面を持っています。素材が粘菌という、生きた存在である為、生体への正しい知識と観察方法の習得やこちらのアクションに対する対象の反応を理解する為の仮説検証を必要とするからです。こうした、現代アートにおいて必ずしもメジャーとはいえない方法を選択した理由について、齋藤さんは、それが小学生の頃の興味関心から地続きのものであると語ります。

スタイルの完成

 齋藤さんの現在のスタイルでもある、生物学を用いた芸術表現は、大学での経験がその萌芽となっています。入学当初から、自身の興味の二つの柱―アートと生物学―の両立を目指していた齋藤さんですが、そうした表現を具体化する直接の契機となったのは、バイオ・アートの授業でした。バイオ・アートとは、生命科学や生体そのものを題材として扱うもので、その中には植物を直接的な素材として扱うような表現もあります。

齋藤「授業で1番印象に残っているのが、デイビッド・アッテンボローの『植物の私生活』というBBCのビデオを見たことでした。世界中の植物の生態を、高精細なタイムラプラスビデオを交えながら、アッテンボローが解説するというもので、それに感動して卒業制作では、モーターで開閉するガラスの花を作りました。」

Swing of Life

これ以外にも、大学での経験は齋藤さんの創作に強い影響を与えています。それは素材との(生物学的なものとは異なった形での)向き合い方です。

齋藤「多摩美の工芸では、技法を継承していく伝統工芸的な視点だけではなく、素材を探求する・活かす手法自体を学ぶことができました。そこには(素材に合った)新しい技法を開発するといった側面もあります。」

同時に、こうしたアート的な意味での素材の探求を、より生物学の専門的な知見と融合させる為に、齋藤さんは大学の外での交流も積極的に行っていました。ここで、彼女に大きな影響を与えたのが、いわゆるバイオ・アートのプラットフォーム metaPhorest ( 3)への参加です。

齋藤「当初はセミナーに毎回参加したり、展示の手伝いをしたりしていました。当時はまだ自分も表現形態を模索中で、アートとも、思想とも、サイエンスとも言えないものに関心があったのですが、ここに行けば、そうしたものについて、探究できると思いました。」

metaPhorestの正式メンバーとなって以降、齋藤さんは生物学の知識の習得や研究者たちとの交流、同じような視点で創作するアーティスト達との議論を積極的に行います。そして、工芸的な素材へのアプローチ法と生物学的な専門性を得つつ、自身の作家性を深化させていく中、2017年には、現在の齋藤さんの表現における中心的な素材であり、かつ制作上のパートナーともいえる粘菌を扱った、最初の作品を発表します。それ以降、冒頭で紹介した≪Eaten Colors≫シリーズに至るまで、齋藤さんは粘菌をパートナーとして、生物学を用いた様々な芸術表現を展開していくことになります。

Non-Retina Kinematograph

新たな活動―アートを軸に多領域を繋げる―

これまで、齋藤さんのアーティストとしての特徴と、表現のルーツを簡単に見てきましたが、最後に彼女の新たな試みとして、山梨県北杜市でのアートスペース『Hokuto Bioart Laboratory』の運営を紹介したいと思います。

「北杜市は、広大なスペースと豊かな自然環境・様々なカルチャーの併存する同地は非常に魅力的に見えた」と語る彼女は、DIY可能な古民家を舞台に、生物学をテーマとしたアート作品の為のアーティストインレジデンス(4)や一般参加者を募るワークショップ、関連領域のアーティストや研究者を招いたトークイベント、これら活動の記録映像の配信を行なっています。齋藤さんのこうした活動理由は自身の考えるアーティスト像との関係にあります。彼女は「これまでのアーティストは自己表現が活動主体だったが、それだけではなく、作品や制作活動を媒介として様々な領域を繋ぐ存在となっている」と語ります。この考えを証明する例として、近年の気候危機の中で、様々なアーティストの作品がエコロジー運動を後押ししていることは好例といえます。その考えをもとに、『Hokuto Bioart Laboratory』では、さまざまなプログラムやイベントを通して、アーティスト、研究者、一般の方々、そして地域が繋がりを持ち、新たなものの見方や発見といった相乗効果をもたらす場が想定されています。

 齋藤さんが運営する Hokuto Bioart Laboratory の敷地内では様々な作物が育てられている

北杜市の施設は、開かれた場所としての役割だけでなく、自然豊かな環境での暮らしが自身の創作活動にも良い影響を与えていると語ります。

齋藤「半自然農法で畑をつくり、そこで取れた作物や野草を組み合わせて料理をしています。そういう活動をすることで、作品のテーマでもある、環境保全や人新世といった概念に対して、実感を持てるようになりました。」

齋藤さんの生物学を用いた芸術表現から、社会と文化、自然といった、より広い領域の媒介まで活躍の場を伸ばし続けるスタイルは、私たちにとって大切な視点を提供してくれると感じます。現在、人文学の分野では、人新世の語を皮切りに、エコロジーに関する様々な論考が発表されています(5)。そこでは、気候危機や自然保護といった問題などへの対応として我々が従来の人間中心的な考え方を脱却し、自分たち以外の種族や環境への共感を育むことの重要性がしばしば語られてきました。粘菌のような単細胞生物に作品制作の一部を託し、そのエージェンシーを主体性に提示する齋藤さんの作品は、現在のそうした潮流と響き合うものです。

更に、この点以外にも大きな価値があります。前述の人新世やそこから発展した研究は様々な批判を受けてきました。例えば、そこに潜む権力性の問題です。人類学者のマシュー・C・ワトソンは、脱人間中心主義から影響を受けたマルチスピーシーズ民族誌の潮流に連なる論文を取り上げ、その中で動物が結局のところ人間の描きたい物語を描くために「資源」となっているとします(6)。

脱人間中心主義の考えのもとでは、様々な生物種(あるいは非生物も含めた)の存在や行動能力を認めることが求められますが、その為に、どのようにそうした存在について語るのかが人間の手に一任されてしまっている―結局のところ人間中心主義に回帰してしまっているとも考えられ、こうした視点から齋藤さんの作品を再度、眺めると≪Eaten Colors≫なども粘菌を「資源」として利用した作品のようにも見えるかもしれません。しかし、実際の作品における粘菌たちの存在感や生々しさは、私たちの認識を変化させざるを得ないような力に満ちてもいます。

齋藤さんの表現は、現在の主要な潮流と重なり合いながら、同時にそこに存在する様々な可能性や批判も含め多元的な解釈の可能性へと我々を開いてくれるのです。

編集後記

齋藤さんの近年の代表作品シリーズ〈Eaten Colors〉は、従来のアーティストの制作手法を離れ、微生物(粘菌)に委ねて制作が進められるものです。この作品の制作過程を思い浮かべると、さまざまな考えを巡らせることができます。

例えば、人の目に見えないところでうごめく生命に対する「見方」です。現在も進行中の新型コロナウイルスの危機は、目に見えない微生物(病原菌)が感染症を引き起こし、社会機能を停滞させ、私たちに深刻なダメージを及ぼしました。この「目に見えないもの」への恐怖は、様々な心理的な反応を引き起こしました。しかし、目に見えないからこそ、多様な視点からコロナ問題に向き合い、それを解決への行動力につなげてきたのだと思います。

齋藤さんの人の目に見えない微生物によって生み出された作品は、物事を多様な視点で捉えることの大切さを再認識させてくれます。彼女の作品は一見、筆で描かれた抽象絵画にも見えます。しかし、実際には人以外の生命によって作られており、それを知った瞬間、頭の中には鮮やかで多様な想像の世界が広がり、それが新たな発見へつながっていくことを体験することができます。単一の視点からの理解に留まるのではなく、その背後に隠れたものを見出すこと、これこそが今の混沌とした社会を生きる上で私たちに求められる術であり、齋藤さんの作品はそのような「見方」を教えてくれるように感じます。

MAD アート・プロジェクトでは、今後もアーティストをはじめ、様々なアート関係者へのインタビューやその他の企画を通して、社会に資する活動を行っていく予定です。